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松江地方裁判所 昭和51年(わ)73号 判決 1976年11月02日

被告人 田原清 外五名

主文

被告人村上美則を懲役一〇年に、被告人田原清、同佐田和歌夫を各懲役七年に、被告人田原茂を懲役五年に、被告人西田清志、同渡邉慎太郎を各懲役三年にそれぞれ処する。

被告人らに対し未決勾留日数中各一二〇日をそれぞれその刑に算入する。

被告人村上美則から、回転式拳銃一丁、自動式拳銃一丁、実包一〇発(昭和五一年押第三四号の2ないし4)を、被告人西田清志から刺身包丁一丁(前同号の7)をそれぞれ没収する。

理由

(事実)

一、被告人らの経歴地位

被告人佐田和歌夫は中学校卒業後理容師、流しの歌手、バーテンなどをしていたもの、被告人村上美則は中学校卒業後工員、自動車運転手などをしていたもの、被告人田原清は中学校卒業後配管工、家屋解体業などをしていたもの、被告人田原茂は中学校卒業後メツキ工、大工仕事の請負などをしていたもの、被告人西田清志は中学校卒業後バス車掌、塗装工などをしていたもの、被告人渡邉慎太郎は中学卒業後漁船員、配管工などをしていたものであるが、被告人佐田は昭和四九年三月ころより被告人村上、同渡邉は昭和四七年ころよりいずれも豊田融経営にかかる益田市所在の三友商事に勤め、昭和五〇年一一月ころ右豊田が合田一家竹内組の若頭となつて豊田組を結成するや、被告人佐田、同村上、同田原清、同田原茂が同組に加入し、被告人西田も昭和五一年二月ころから同組に入り、被告人渡邉もそのころ同組事務所に出入して事実上組員となり被告人佐田、同田原清は同組加入と同時に若頭補佐となつたが、後述のように同組若頭湯田兼光が死亡するに及んで被告人佐田が、その後を継いで若頭となり豊田組長を補佐して同組を統卒し、被告人村上は若頭補佐となつていたものである。

二、本件に至る経緯

右豊田組は、益田市内を勢力範囲としていたが、昭和五〇年夏ころより、浜田市内に勢力を持つ通称夏井グループ(総括者夏井真)が、益田競馬場に頻繁に出入して賭金を高利で貸付け、さらに同年末ころには益田市常盤町一番一七号所在のスナツク「ニユー京都」の経営権を取得するなど、益田市内への進出を開始したため、豊田組との間に対立関係が生じ、その結果、昭和五一年三月二〇日、前記スナツクに赴いた豊田組の若頭湯田兼光が夏井グループの井上賢璽から刺殺されたうえ、同所に居合せた被告人村上、同田原茂、同渡邉らも受傷するという事件が発生した。

ここにおいて、豊田組組員らは、右事件を放置すれば、同組の威信を損い、夏井グループの益田市進出を助長することとなると思惟し、加えて、上部団体である合田一家からの圧力もあつて、夏井グループに対し、その頭である夏井真を殺害することにより報復を果そうと決意するに至り、組事務所などでその方法などについて再三協議したが、そのうち夏井真が逮捕されたので、結局益田市内に貸金の取立てにくる夏井の配下の者を殺害しようということになり、新たに若頭の地位についた被告人佐田が、明瞭な態度を打ち出さない組長にかわつて、右報復計画の指導者的立場に立ち、組員らに対し、益田市内で夏井グループの者を見かけた際には直ちに連絡して統一的行動をとるよう指示するとともに、被告人西田に右殺害行為の担当を引き受けるよう慫慂するなどの準備をし、報復の機会を窺つていた。

三、罪となるべき事実

第一、被告人らは、昭和五一年四月一九日午後七時三〇分ころ益田市下本郷町六八番地四、喫茶店「ポニイ」前駐車場に駐車中の普通乗用自動車内にいる右夏井グループの配下である竹野正明(当二六年)を認め、共謀のうえ、同人を殺害して前記報復の目的を遂げようと決意し、同日午後一〇時三〇分ころ被告人村上、同田原清が右「ポニイ」前駐車場に赴き、被告人村上において所携の刺身包丁(昭和五一年押第三四号の7)で右乗用車運転席に腰掛けていた右竹野の下胸部および上腹部を各一回突き刺し、同人が右乗用車を運転して逃走するや、被告人田原清とともに自動車でこれを追跡し、同市乙吉町一二一番地一、有限会社マルホ前に至り、さらに右刺身包丁で同人の前頸右下部を一回突き刺し、よつてそのころその場において右各刺創に基づく失血により、同人を死亡させてこれを殺害し

第二、被告人田原清は、

(一) 法定の除外事由がないのに、同日午後一〇時三〇分ころ、前記喫茶店「ポニイ」前駐車場において、回転式拳銃一丁(前同号の2)を所持し、

(二) 常習として同年一月一一日午後一〇時過ぎころ、同市駅前町一九番二六号スナツク「ムチヤチヤ」店舗内において宮田正則に対し、些細なことに憤激の末、同人の顔面、頭部を手拳で数回殴打したり、丸椅子に座つていた同人を床に引き倒し足蹴りにしたりするなどの暴行を加え、

第三、被告人佐田和歌夫は、法定の除外事由がないのに、

(一) 同年四月二四日ころの午前一一時三〇分過ぎころ、同市駅前町二〇番四号の被告人の居室である永岡アパート五号室において、回転式拳銃一丁(前同号の2)を所持し、

(二) 同年四月三〇日ころの午後九時過ぎころ、前記居室において自動式拳銃一丁(前同号の3)を所持し、

第四、被告人村上美則は、法定の除外事由がないのに、同年四月二日ころから同月一九日までの間、同市あけぼの西町五番地八所在福原アパートの自室において、回転式拳銃一丁(前同号の2)および自動式拳銃一丁(前同号の3)を所持し、

第五、被告人田原茂は、法定の除外事由がないのに、同年四月一九日午後一〇時一〇分ころ、同市乙吉町ロ一七番地渋谷義助方庭先付近において、回転式拳銃一丁(前同号の2)を所持し、

第六、被告人西田清志は、法定の除外事由がないのに、同日午後八時三〇分ころ、同市あけぼの東町あけぼの公園北側路上において、回転式拳銃一丁(前同号の2)を所持し、

第七、被告人渡邉慎太郎は、田上光雄と共謀のうえ、益田市内で食堂を経営している郭省三がオートレースのノミ行為をしているとの風評を種に同人から金員を喝取しようと企て同年三月一〇日ころ、同市駅前町の喫茶店「ヨシタケ」において同人に対し「お前はノミ行為みたいなことをやつているのう。益田には豊田組というものがあつて勝手にそんなことをされてはやれん。なんとか格好をつけてくれ。」などと申し向け、さらに同月二〇日ころ、同市駅前町の喫茶店「ココ」において同人に対し「ノミ行為のおとしまえをつけてもらわねばやれんがどうするか。一〇万円出せ。」などと申し向けて、被告人らの属する暴力団豊田組の威力を背景として同人を脅迫して金員を要求し、同人をしてもしその要求に応じなければ同人の身体にいかなる危害を加えられるかもしれないと畏怖させ、よつて同月三一日前記喫茶店「ココ」において、同人から額面一〇万円の小切手一通を交付させてこれを喝取し

たものである。

(証拠)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

被告人佐田和歌夫の弁護人は、被告人佐田は本件殺人事件の実行着手前に当初の共謀より脱退し、本件殺人の実行行為は同被告人を除いたその余の被告人らの新たな共謀に基づきなされたものであるから、右被告人は殺人予備の責任を負うに止まるべきであると主張する。そこで本件犯行の前後の事情につき検討するに、前掲各証拠によると、本件犯行当日の午後七時三〇分ころ前記「ポニイ」前駐車場に夏井グループのものと思われる普通乗用自動車が駐車しているとの通報を被告人田原茂より受けた被告人佐田は、自ら現場に赴き右車両運転席に夏井グループの配下である竹野正明がシートを倒して眠つていることを確認し、同人殺害を決意するに至つたこと、そこで同日午後八時三〇分ころ被告人佐田、同村上、同田原茂、同西田が益田市あけぼの西町の天理教会前に参集し、其処から豊田組事務所へ向う車中において、右被告人らの間に、右竹野の殺害の実行を被告人西田が担当することとし、その凶器を被告人村上が持参した回転式拳銃とする旨の謀議が成立したこと、そして被告人西田は右拳銃を携え、組事務所から一人で「ポニイ」に向け、出発したものの、竹野殺害行為を躊躇して組事務所に引き返し、別途に刺身包丁を持つて「ポニイ」付近に赴いていた被告人渡邉とともに、同日九時三〇分ころ被告人田原茂の妹のアパートに行つて待機していたこと、被告人西田が殺害行為を実行出来ないでいることを知つた被告人田原茂は兄である被告人田原清を「ポニイ」東側の運動公園付近に呼び出し、ことの経過を聞いた同被告人が組事務所へ電話して被告人村上を呼び出したこと、被告人村上は、自己が現場に赴けば実行行為に至ることになるかも知れぬが、それも止むを得ないと決意し、出発前に被告人佐田に出かける旨を告げたところ、同被告人は、被告人西田が竹野を殺害の実行をしない以上「ポニイ」付近に多数の組員が彷徨することはまずいと考え、被告人村上に対し、皆をとにかく連れて帰るよう指示したこと、そして同日午後一〇時過ぎころ「ポニイ」南側の同市乙吉町ロ一七番地渋谷義助方庭先付近において、被告人村上、同田原清、同田原茂の間で、竹野殺害の方法などにつき協議がなされ、一時は同人を生捕る案なども出たが、結局これを殺害することとし、その実行行為は被告人村上、同田原清の両名が担当することに決り、間もなく被告人田原茂に伴われて同所に到着した被告人西田、同渡邉から、被告人村上が刺身包丁を受けとり、実行担当者の二名を除くその余の被告人らは右実行行為を右二名に委ねてその場を立ち去つたこと、その後被告人村上、同田原清の両名は判示のような犯行に及んだこと、被告人村上は右犯行後、被告人佐田に竹野殺害の事実を報告したうえ逃走したことがいずれも認められる。

ところで一般的には犯罪の実行を一旦共謀したものでも、その着手前に他の共謀者に対して自己が共謀関係から離脱する旨を表明し、他の共謀者もまたこれを了承して残余のものだけで犯罪を実行した場合、もはや離脱者に対しては他の共謀者の実行した犯罪について責任を問うことができないが、ここで留意すべきことは、共謀関係の離脱といいうるためには、自己と他の共謀者との共謀関係を完全に解消することが必要であつて、殊に離脱しようとするものが共謀者団体の頭にして他の共謀者を統制支配しうる立場にあるものであれば、離脱者において共謀関係がなかつた状態に復元させなければ、共謀関係の解消がなされたとはいえないというべきである。

本件においては、前述のとおり、被告人佐田は豊田組若頭の地位にあつて組員を統制し、同被告人を中心として竹野殺害の共謀がなされていたのであるから、仮りに同被告人がこの共謀関係から離脱することを欲するのであれば、既に右共謀に基づいて行動を開始していた他の被告人ら(実行担当者であつた被告人西田が実行できないでいるため、他の被告人らがこれに代つて実行する気配を示していたことは明らかである。)に対し、竹野殺害計画の取止めを周知徹底させ、共謀以前の状態に回復させることが必要であつたというべきところ、前認定のとおり、同被告人は被告人村上が犯行現場に向う際一応皆を連れて帰るよう指示したのみで、当時右現場付近に他の被告人らが参集し竹野殺害の危険性が充分感ぜられたにも拘らず、自ら現場に赴いて同所にいる被告人らを説得して連れ戻すなどの積極的行動をとらず、むしろ内心被告人村上らの実行行為をひそかに期待していたとみられるふしもあるのである。

してみれば結局被告人佐田において共謀関係の離脱があつたと認めることはできないから、右被告人を除いたその余の被告人らにおいて、本件犯行の実行担当者や実行方法につき新たな共謀がなされ、これに基づいて右犯行が実行されたものであるにしても同被告人はこれが刑事責任を免れることはできないというべきである。

よつて弁護人の主張は採用することができない。

(累犯前科)

一、被告人田原清は、(1)昭和四六年六月八日松江地方裁判所で凶器準備集合、恐喝未遂、暴力行為等処罰に関する法律違反、傷害、器物損壊の各罪により懲役二年に処せられ、昭和四八年六月七日右刑の執行を受け終り、(2)その後犯した暴力行為等処罰に関する法律違反の罪により昭和四九年四月一二日松江地方裁判所益田支部で懲役一年に処せられ昭和五〇年三月二七日右刑の執行を受け終つたものである。

二、被告人村上美則は、(1)昭和四六年一一月二五日、松江地方裁判所で、銃砲刀剣類所持等取締法違反、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反の各罪により懲役一〇月(三年間執行猶予、昭和四八年六月九日右猶予取消)に処せられ、昭和五〇年三月一八日右刑の執行を受け終り、(2)昭和四七年七月一〇日松江地方裁判所益田支部で暴力行為等処罰に関する法律違反、公文書毀棄の各罪により懲役八月(四年間保護観察付執行猶予、昭和四八年六月二九日右猶予取消)に処せられ、昭和五〇年一一月一八日右刑の執行を受け終り、(3)昭和四八年一月二九日松江地方裁判所益田支部で暴力行為等処罰に関する法律違反の罪により懲役四月に処せられ(昭和四八年六月一八日確定)、昭和四八年九月一八日右刑の執行を受け終り、(4)昭和四八年六月二九日松江地方裁判所益田支部で覚せい剤取締法違反、暴力行為等処罰に関する法律違反の各罪により懲役八月に処せられ昭和四九年五月一八日右刑の執行を受け終つたものである。

三、被告人田原茂は、昭和四六年一一月二五日松江地方裁判所で放火、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反の各罪により懲役二年六月に処せられ、昭和四九年四月五日右刑の執行を受け終つたものである。

四、被告人渡邉慎太郎は、(1)昭和四八年七月一二日松江地方裁判所益田支部で恐喝罪により懲役六月(三年間保護観察付執行猶予、昭和四九年九月二日右猶予取消)に処せられ昭和五一年一月一八日右刑の執行を受け終り、(2)昭和四九年七月三〇日松江地方裁判所益田支部で暴力行為等処罰に関する法律違反の罪により懲役一年二月に処せられ、昭和五一年四月一四日右刑の執行を受け終つたものである。

以上の各事実は、当該被告人の当公判廷における各供述および各前科調書によりこれを認める。

(適条)

被告人六名の判示第一の所為はいずれも刑法第一九九条、第六〇条に、被告人田原清の判示第二の(一)、被告人佐田和歌夫の判示第三の(一)、(二)、被告人村上美則の判示第四、被告人田原茂の判示第五、被告人西田清志の判示第六の各所為はいずれも銃砲刀剣類所持等取締法第三条第一項、第三一条の二第一号に、被告人田原清の判示第二の(二)の所為は暴力行為等処罰に関する法律第一条の三後段に、被告人渡邉慎太郎の判示第七の所為は刑法第二四九条第一項、第六〇条にそれぞれ該当するところ、殺人罪の所定刑中いずれも有期懲役刑を、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪の所定刑中いずれも懲役刑をそれぞれ選択し、被告人田原清、同村上美則、同田原茂、同渡邉慎太郎には前記の前科があるので、被告人村上美則の判示第一および第四の罪、被告人田原茂の判示第一および第五の罪、被告人渡邉慎太郎の判示第一および第七の罪にいずれも刑法第五六条第一項、第五七条により再犯の加重(ただし各判示第一の罪については同法第一四条の制限内で加重)をなし、被告人田原清の判示第一および第二の(一)、(二)の罪にいずれも同法第五九条、第五六条第一項、第五七条により三犯の加重(ただし判示第一の罪については同法第一四条の制限内で加重)をなし、被告人田原清の判示第一および第二の(一)、(二)の罪、被告人佐田和歌夫の判示第一および第三の(一)、(二)の罪、被告人村上美則の判示第一および第四の罪、被告人田原茂の判示第一および第五の罪、被告人西田清志の判示第一および第六の罪、被告人渡邉慎太郎の判示第一および第七の罪はいずれも同法第四五条前段の併合罪の関係に立つから、同法第四七条本文、第一〇条により、被告人田原清、同佐田和歌夫については最も重い判示第一の罪の刑に、被告人村上美則、同田原茂、同渡邉慎太郎については重い判示第一の罪の刑にいずれも同法第一四条の制限内で、被告人西田清志については重い判示第一の罪の刑に同法第四七条但書の制限内でそれぞれ法定の加重をし、その各所定刑期の範囲内で、被告人田原清、同佐田和歌夫をいずれも懲役七年に、被告人村上美則を懲役一〇年に被告人田原茂を懲役五年に、被告人西田清志、同渡邉慎太郎をいずれも懲役三年にそれぞれ処することとし、同法第二一条により未決勾留日数中各一二〇日を被告人らの右各刑に算入し、押収にかかる回転式拳銃一丁および自動式拳銃一丁(昭和五一年押第三四号の2、3)は、被告人村上美則の判示第四の犯罪行為を組成した物で犯人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第一号、第二項により、また押収にかかる実砲一〇発(前同号の4)は右回転式拳銃および自動式拳銃の従物であるから、いずれも同被告人から没収することとし、押収にかかる刺身包丁一丁(前同号の7)は被告人西田清志の判示第一の殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号、第二項により、これを同被告人から没収することとし、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人佐田和歌夫、同渡邉慎太郎に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 芥川具正 小川国男 皆見一夫)

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